梅若芸能企画

Umewaka Geinoukikaku

日本民謡梅若流梅若会は、初代浅野梅若の培ってきた
秋田の唄、三味線、郷土芸能を基に
古くから伝わる歴史や伝統芸能を守り
また、研究しその発展を目指し、より多くの方々に知っていただき
民謡が生活の一部となるよう活動をしております。

梅若芸能企画

Umewaka Geinoukikaku

日本民謡梅若流梅若会は、
初代浅野梅若の培ってきた
秋田の唄、三味線、郷土芸能を基に
古くから伝わる歴史や伝統芸能を守り
また、研究しその発展を目指し、
より多くの方々に知っていただき
民謡が生活の一部となるよう
活動をしております。

概要

Overview

〈代 表〉
梅若 梅貢

〈住 所〉
〒010-1637 秋田県秋田市新屋扇町85-22

〈創 業〉
1998年

〈連絡先〉
TEL.018-828-4638
FAX.018-827-7880

初代梅若について

About the First Umewaka

 明治44年、現在の秋田市雄和に生まれた浅野梅若(本名・保ニ)は、昭和4年、地元へ興行に来た高力市太郎の三味線に魅了され、三味線の道を目指すようになる。

 民謡歌手・保坂千鳥や佐藤貞子らの一座で三味線を弾き腕を磨き、昭和18年、弘前に疎開していた梅田豊月のもとで津軽三味線の修行をし、「浅野梅若」を名乗るようになる。

 昭和19年召集されるが翌年復員。戦後復興とともに民謡人気が復活すると、NHKのど自慢の伴奏などを依頼され知名度をあげ、「梅若流」を確立し多くの若者が梅若の門をたたくようになり長谷川久子や、浅野千鶴子らを日本一の歌い手を育て上げ、昭和54年には日本民謡協会名人位に、昭和56年に勲五等双光旭日章の褒章を受け、民謡大国秋田の名を全国に示し、平成18年8月4日、心筋梗塞のため秋田市内の病院で死去。享年95。

没後、養女の和子が2代目梅若を襲名、梅若流の宗家も継承した。

秋田民謡

Akita Minyou

秋田県は全国でも有数の
民謡が盛んな地域です。
愛好者や、愛好団体から
プロ歌手まで多く存在し、
各地のお祭りでは民謡が
聞かれないところはない程です。
秋田民謡の特徴は、
哀愁のこもった歌よりは
全体的に酒席などで歌う
明るく楽しげな
曲調の歌が多いということで、
これは秋田の県民性を表して
いるとも言われます。
近世以来の古典民謡の中には、
江戸時代の日本海の
北前船の船乗りにより、
山陰地方や北陸地方発祥の
曲が伝わったもの(秋田船方節など)
もみられる。

地域と共に

Regional Contribution

梅若流梅若会は、
地元新屋地区の小学校で
秋田民謡を後世に幅広く伝えるため、
民謡で使用する楽器の
提供と民謡教室を開催し、
秋田の伝統芸能の一つで
ある秋田民謡の普及と
保存に務める活動も行っています。

小学校での民謡教室

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